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2026.10.20
【特集】変わらない価値を、 未来へつなぐために ~前川國男の建築思想と、熊本県立劇場のこれから~

変わらない価値を、未来へつなぐために
~前川國男の建築思想と、熊本県立劇場のこれから~
熊本県立劇場は、2026年10月1日から大規模改修工事のため、約1年5カ月にわたる休館に入りました。開館から44年。今回の改修は、施設の安全性や快適性を高めるとともに、これからも県民の文化芸術活動を支える劇場として使い続けていくためのものです。なぜ、これほど長い時間をかけて改修するのでしょうか。その理由をひもとくと、設計者・前川國男がこの建物に込めた思いと、熊本県立劇場が受け継いできた価値が見えてきます。

これからも、安全で快適な劇場であるために
今回の改修では、耐震強化を目的とした特定天井の改修をはじめ、コンサートホールと演劇ホールの座席改修、一部座席の間隔の拡幅、空調・排水等機械設備の更新、レストランの改修などを行います。
これらは、施設の安全性を高め、より快適な環境で舞台芸術を楽しんでいただくとともに、これからも長く劇場を使い続けていくために必要な工事です。
しかし、県劇の改修で大切なのは、設備を新しくすることだけではありません。前川國男が手がけた建築としての価値を守りながら、これからの時代にふさわしい劇場へと機能を高めていくこと。今回の改修には、その両立が求められています。
前川國男が託した、県劇というかたち
県劇の歩みは、1978年に建設準備室が設置されたことから始まりました。当時は多目的ホールが一般的でしたが、熊本では早い段階から、音楽と演劇それぞれに対応する専用ホールを備えた劇場が構想されました。設計を担ったのは、戦後日本のモダニズム建築を牽引した建築家・前川國男。ル・コルビュジエに学び、神奈川県立音楽堂や東京文化会館などを手掛けた前川にとって、県劇は公共ホールの集大成といえる作品となりました。「私のライフワークとしたい」と語ったとされるこの建物には、公共建築への深い思いが込められています。

長く使われる“社会の器”として
前川の建築思想を考えるうえで大切なのは、建築を一時の流行としてではなく、長く使われる“社会の器”として捉えていたことです。東京文化会館に関する解説では、前川は建築を「ファッション」とは異なるものと考え、素材や構法、空間の積み重ねから建築の質を形づくろうとしていたことが紹介されています。また、舞台そのものだけでなく、ロビーやホワイエのような、人が集まり、過ごし、行き交う公共空間を豊かに設計することも重視していました。文化を支える建築とは、ただ機能を満たす箱ではなく、人々の時間や関係性までも受け止める場所である―その考え方は、県劇の空間全体に息づいています。

「人に開かれた場」としての空間構成
その思想がわかりやすく表れているのが、県劇の空間構成です。北側にコンサートホール、南側に演劇ホールを置き、その間を東西に貫く「モール」が結んでいます。このモールは単なる通路ではなく、西側道路から東側駐車場へ抜ける動線であると同時に、2つのホールを音響的に分離する役割も担っています。さらに、モールには「光庭」と呼ばれるガラスで覆われた吹き抜け空間があり、建物の奥まで自然光を届けています。歩き、立ち止まり、光を感じる余白を備えたこの構成は、県劇を都市の中の開かれた公共空間として考えた前川の思想をよく伝えています。

芸術にふさわしい、2つの専用ホール
県劇の大きな特徴は、音楽と演劇、それぞれの上演特性に応じた2つの専用ホールを備えていることです。当時の公共ホールでは、「大ホール・小ホール」という規模による区分が一般的でしたが、県劇では音楽に特化したコンサートホールと、舞台芸術の多様な表現に対応する演劇ホールが設けられました。コンサートホールは、約2秒の豊かな残響と明瞭さを両立し、シンフォニー・オーケストラにふさわしい響きを目指した空間です。一方の演劇ホールも、可変ポータルをはじめ当時として高水準の舞台機構を備え、オペラ、バレエ、歌舞伎、文楽、小規模演劇まで幅広い表現に応える場として構想されました。

細部にまで息づく、前川建築の美意識
また県劇は、コンサートホールを「楽器」として捉えています。ホールの価値は、客席数や見た目の美しさだけで決まるのではなく、形状、反射、静けさ、材料、設備まで含めて、音がどう生まれ、どう届くかによって決まる。打放しコ
ンクリートの矢羽根状の凹凸や表面のざらつきも、視覚的な特徴であると同時に、音を拡散させる役割を担っています。こうした意匠と音響性能の両立にも前川の設計思想が表れています。

使い継ぐために重ねてきた保全の時間
熊本県は、2005年に建物のライフサイクルを踏まえた改修・保全計画を立案し、2015年には実情に合わせた見直しを実施しました。同年にはコンサートホール舞台照明設備の改修が行われ、2016年の熊本地震ではその備えが生きたことも知られています。2020年には、長期にわたる適切な維持保全が評価され、BELCA賞ロングライフ部門を受賞しました。前川建築設計事務所・橋本功所長は、建築を100年残すためには、竣工時の姿をただ維持するのではなく、「何を変えてよく、何を変えてはいけないのか」を共有しながら、設計者、運営者、利用者、市民がともに建物を育てていくことが大切だと述べています。知ることによって愛着は“理由のある愛着”へと変わり、それが保存を支える力になる―その考え方もまた、県劇の未来に深く関わっています。

変わらない価値を守るための改修
今回の改修工事も、その歩みの先にあります。設計関係者は、今後の改修は一般の公共建築と同じ発想で設備更新するのではなく、ホール固有の音響や意匠、施工技術、設計思想を引き継ぎながら、「楽器として調律していく」ことが重要だと語っています。さらに、施工中にも見直しを重ねる「できるまで設計」という姿勢こそ、県劇を県劇たらしめている本質の一つでした。だからこそ、これからの改修でも、図面だけでは残らない「なぜこの形なのか」「なぜこの材料なのか」を記録し、次の世代へ渡していくことが求められます。設計関係者は「あんまり変わっていないね」と言われることこそが何よりの褒め言葉だと言います。この劇場の改修は、変化を誇るものではなく、守り抜かれた空間の質によって語られるべきものなのでしょう。

県劇の時間を、次の世代へ
県劇は、前川國男が遺した名建築であると同時に、いまも県民の文化を受け止め続ける、現在進行形の公共空間です。専用ホールの先駆性、モールや光庭の豊かな構成、細部にまで宿る意匠、そして使い継ぐことを前提にした保全の思想。そのどれもが、前川の建築思想と深く結びついています。今回の改修は、古い建物を新しくするための工事ではなく、この劇場の精神と空間の質を未来へ手渡すための時間です。変わらない美しさを守りながら、次の世代へ。その歩みの中にこそ、熊本県立劇場という建築の本当の価値があるのです。
前川 國男( 建築家)
MAEKAWA, Kunio

Profile/
1905年 新潟県新潟市生まれ
1928年 渡仏、ル・コルビュジエに学ぶ
1930年 帰国、レーモンド事務所に入社
1935年 前川國男建築設計事務所を設立
1940年代~ 公共施設を中心に多数の作品を手掛ける
1986年 逝去(享年81歳)
【主な作品】
神奈川県立音楽堂(1954年)、岡山県庁(1957年)、東京文化会館(1961年)、熊本県立美術館(1976年)、熊本県立劇場(1982年)
[全国各地で進む、劇場・ホールの改修]
・ 東京文化会館(1961年開館)
全面的な設備機器更新等の大規模改修工事
【休館期間】 2026年5月7日~2028年度中(予定)
・ 滋賀県立芸術劇場びわ湖ホール(1998年開館)
全面的な設備機器更新等の大規模改修工事
【休館期間】2026年7月1日~2028年2月末(予定)
・ まつもと市民芸術館(2004年開館)
施設・設備の予防保全を図るための大規模改修工事
【 利用停止期間】主ホール:2025年10月~2027年3月
・ ハーモニーホール座間(市民文化会館)(1995年開館)
安全確保を目的とした天井改修(準構造耐震天井) その他長寿命化工事
【休館期間】2024年8月1日~2026年10月31日
・ 神奈川県立県民ホール(1975年開館)
現在建て替えの基本計画を策定中
【 休館期間】2025年4月1日~ 老朽化により休館




