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2020.06.20

館長コラム「芸術・文化の灯を絶やしてはならない」

芸術・文化の灯を絶やしてはならない

世界を不安と恐怖のるつぼにたたき込んだような新型ウイルスのパンデミックは、日本でも様々な爪痕を残しつつも、まだ終息の目処が立たないまま、第2波、第3波の恐れも懸念されています。そうした中、手繰りの試行錯誤が続いているとはいえ、緊急事態宣言も現段階(5月22日)で北海道と首都圏(一都3県)を除いて解除の方向に向かいつつあります。

4月7日、7都道府県を対象にした緊急事態宣言の発出以来、既に1ヶ月半以上が経ち、この間、観光や飲食業、交通や運輸、サービス業など、中小零細企業や非正規労働者、生活困窮者などに甚大な皺寄せが及び、営業や事業はもちろん、雇用や家計が存続の危機に瀕し、今後、失業率もリーマンショックを上回る規模になるのではないかと推計されています。

一部のシンクタンクの試算によると、4、5、6月の3ヶ月のGDPは、年率換算で20%を超える落ち込みになるのでないかという予測値も出ている程です。このような凄まじい急激な収縮は、戦後、なかったことであり、90年前の大恐慌にも匹敵する不況が現実のものになるかもしれないほど厳しい状況です。大袈裟でなく、私たちはそれこそ、「生存経済」が脅かされかねない苦境に立たされているのです。

そうした明日をも知れない不安と脅威に苛まされている社会の中で人が集うことで成り立つ劇場やホール、オペラハウスやライブハウスさらにミュージアムや図書館など、一定の屋内施設と収容空間を擁する場所が事実上、稼働中止に追い込まれ、緊急事態宣言の解除後も、社会的距離(ソーシャル・ディスタンス)の確保や「3密」の回避、公衆衛生上の制約などを課され、「コロナ禍」以前に戻ることが不可能になりつつあります。

こうした中、芸術や文化事業、催し物の中止や、延期が相次ぎ、フリーランスのアーティストを含めて、一挙に、その活動の場を極端に狭められ、中には「生存経済」すらままならない窮迫した状況に追いやられている人々がいます。

確かに、困っているのは、みな同じであり、アーティストや芸術・文化事業にかかわる人たちだけではないという見方にも理があります。

ただ、今から70年前に発表された問題作『ペスト』で再び脚光を浴びつつあるフランスの作家、アルベール・カミュは、疫病が身体だけでなく、人間の心や想像力に甚大な作用をもたらし、その結果、社会が内側から綻んでいく様を見事にあぶりだしましたが、私たちはいま、同じような光景を日々、目にしているのかもしれません。そして「コロナ禍」は、健康を損ない、身体的な病をもたらし、経済を麻痺させ、さらに何よりも私たちの心の中の隠された情念を引っ張り出し、不安や恐怖、憎しみや嫌悪の情動に翻弄されかねない私たちのダークサイドを暴き出しつつあります。

芸術や文化、芸能は、そうしたダークサイドに閉じ込められかねない私たちの心に光を投げかけ、聴覚や視覚をはじめ五感を通じて私たちの心を癒してくれる目に見えないセラピー(心理療法)でもあるのです。

医療現場のスタッフや資材、設備が足りなければ、医療崩壊が起きるように、そうした様々なジャンルのアーティストや芸能関係者、それらを支える舞台芸術や芸能のスタッフがその活動を断念し、「コロナとの共生」の時代に再び活動の場を見出せなくなれば、「文化崩壊」が起き、それは地域社会の存続をも危うくさせるに違いありません。ドイツのメルケル首相が、「連邦政府は芸術支援を優先順位リストの一番上に置いている」と語ったのも、文化や芸術、芸能が、社会の生命維持に極めて重要であり、「文化崩壊」は人心の荒廃につながり、結局、「社会崩壊」に行き着かざるをえないと認識しているからだと思います。

ドイツと日本では国の仕組みや制度、その歴史的な背景も違っており、一概にドイツの場合をそのまま日本に当てはめることはできませんが、学ぶべき点は多々あるはずです。

以上のような観点にたち、熊本県の芸術・文化の代表的な施設であり、県民の文化振興とそのための人材の育成を担う県立劇場は、今後、県民のみなさんのご理解とご協力を支えに、様々な創意工夫を通じて、この困難な時代にあっても芸術・文化の灯を守り、アーティストたちの窮状に少しでも応えるべくさらなる努力と精進を重ね、「コロナとの共存」の時代にふさわしい劇場のあり方を模索していく所存です。芸術・文化、芸能は、社会の生命維持装置であり、それが途絶えれば「社会崩壊」に行き着かざるをえないことをしっかりと認識し、全力でこの芸術・文化、芸能の出番を作っていきたいと思います。皆さんのご理解とご協力をお願いする次第です。

熊本県立劇場 館長 姜尚中[かんさんじゅん]

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