2024.12.20
【フルVer】特別対談 劇作家・演出家 劇団「扉座」主宰 横内謙介×熊本県立劇場館長 姜尚中
Special feature 特別対談
日時:2024.10.17(木)
場所:熊本県立劇場演劇ホールホワイエ
2022年11月、2日間にわたって開催した第64回熊本県芸術文化祭スペシャルステージ「ONE PIECE×人形浄瑠璃 清和文楽『超馴鹿船出冬桜(ちょっぱあふなでのふゆざくら)』」。この公演の脚本・演出を手がけた横内謙介氏は、スーパー歌舞伎での実績をもとに、人形浄瑠璃という難題に挑みました。見事2日間の公演を成功に導いた横内氏と県立劇場の姜尚中館長が当時を振り返りながら、ローカルからグローバルへ発信する文化芸術について語り合いました。紙面には到底入りきらない対談のフルバージョンをぜひご覧ください。
第64回熊本県芸術文化祭スペシャルステージ
ONE PIECE×人形浄瑠璃 清和文楽
超馴鹿船出冬桜 ちょっぱあふなでのふゆざくら
姜 2022年に県立劇場で上演した「超馴鹿船出冬桜」で感動したのは、人形浄瑠璃と人の身体劇との融合です。それは壮観でしたし、驚きでした。人形浄瑠璃と人間の身体劇をどうコーディネートするかというのは、前からいろいろ考えられていたのですか。
横内 「ONE PIECE」を人形浄瑠璃にしたいという話をいただいて、そんなに詳しくなかったので、まず勉強できるいい機会だなと。(主宰する扉座は)自分たちで勝手にやっている小劇団で、特に誰に習うわけでもなく、ブームの中でそれぞれの作家性でやってきました。実は演劇を誰にも習ったことがないんです。もちろん面白いものを見たり、先輩たちの話を聞いたりして、影響を受けたりはしていますが、芝居ってこうやって作るもんだよってないんですよね。
でも、それだとやっぱりそんなに広がっていかない。いろんな刺激の中で僕は広げていきたかった。伝統芸能に触れてみるとか、海外のものに触れてみるとか。すごく刺激的だったんで。そういう意味で言うと、あ、人形浄瑠璃はいい機会だと。
最初にお話を伺ったとき、舞台はここの演劇ホールだと。人形浄瑠璃には広すぎますよね、この空間は。公演も2日間だけということは、いかにお祭りをやるかと。でもその先に清和文楽館でやる、最終的にあそこに落とし込むんだってことは分かっていた。しかし、あの清和文楽館のサイズ感で、この県立劇場でやっちゃったら、失敗しか見えないだろうなと。清和文楽館の方と話したときにどういうイメージをお持ちか聞いていたら、時々公演をやっているときは2、300人お客様が来館されている。演劇ホールの客席(1,810席)に対して2、300人ってどう見たって寂しいし、無駄に音が拡散しちゃうから、清和文楽館でやった方が上演効果もいいだろうなって。そういうイメージをお持ちだったので、ちょっと違うなって。この県劇での公演を成功させないと、「ONE PIECE」を清和文楽館でロングランするとか、その先の東京に行くぞとか、世界に行くぞなんて話にならないですよね。だから打ち上げ花火のようにお祭りにすることを考えました。
姜 お祭りなんですね。
横内 実際にプロデュースしてくださっていた(藤原)道山先生が、熊本の伝統芸能で絆を持っている方たちが大勢いたから、その方たちに参加してもらう。それから僕は演劇界で、県立劇場で劇作家が一堂に会する、日本劇作家大会(2005熊本大会)があった。それこそ、鴻上(尚史)さんも、平田(オリザ)さんも、坂手洋二とか、マキノノゾミもいたし、劇作家協会の全員がここに集まった。だから、地元演劇人に知り合いはいたので、声掛けして集まってもらって。
彼らのパワーを借りるには、彼らに人形浄瑠璃をさせるわけではなく、結びつけていく。とにかくこの2日間は、盛り上がる祭りにするぞ、って。その先に清和文楽館でやることは意識している。これは長く演劇をやってきた直感です。でもお客さんのことも考えないと。清和文楽館の方たちは、すごく誠実に清和文楽を守っていらしたけど、振り向かれないことに慣れすぎて、自分たちの持っている宝物を人に広めていくとか、そういうところは、ちょっとくたびれてしまっている。
もう一つ感じたのが、表現者としての至高体験を、ここで得てもらいたいなと。やっている側が本気で感動してしまうということ。特に清和文楽は、170年の歴史があって、そういう局面があったからこそ続いていると思うんです。農村文楽だけど、熱狂的に受け入れられ、人生変えちゃった人がいたり。でも、今まさに清和文楽はピンチなんで。これからどうやって続けていこうかって。
清和文楽には優秀な、意欲のある若者もいた。この人たちに、とんでもない非日常体験を感じてもらいたくて。この県劇が満杯になって、拍手喝采が起きた瞬間に、きっと彼らの何かが変わるんじゃないかなと思って。おそらく道山さんもそうですし、私もそうですけど、長く続けてきた人間は必ずどこかでその体験をして、後戻りできないところに踏み込んじゃうんですよね。次またこんな体験ができるなら死んでもいいかとか、命かけていいかって思う人になってもらうには、そういう体験をしてもらうことが必要だと思った。
姜 今横内さんが話されたことには、挑発的なところがあるんですよね。それはやっぱり演劇魂みたいなものなのか、それとも横内さんがもともと持っていたのか。
横内 僕はやっぱり演劇人になって身につけた。もちろん元々は出たがりでもあったけれど、演劇人になって学んだことだと思う。
姜 挑発という自分の内側から出てくる、そういうエネルギーがなくなると、やっぱり演劇人にとって生命力がなくなって、人が動かないんでしょうか。
横内 雑多な人たちが集まって何かをやるというとき、一緒に見えない景色を見に行こうとするって、強引に富士山の頂きに連れて行くようなもので、もう詐欺師ですもん(笑)。ハメルーンの笛吹きかもしれないし。一体どこに連れてかれるんだって、清和(文楽)の人たちも不安でしょうがなかったと思うんですよ、自分たちのものが壊されるんじゃないかって。でも大丈夫って言いながら、僕も見たことない風景になって。ここに行けばそんな風景があるはずって。そこは経験がある程度あるんで。
姜 これからどうなるんだろうと、スリリングなそういうものがあって初めて、舞台は見る方も見られる方も盛り上がっていくと。
横内 特に雑多な人たちが集まる場合は、そこが必要かもしれないですね。研ぎ澄まされた芸人だけが集まる一座だったら、あんまり必要ない。阿吽の呼吸で、お互いの芸で見せられる。でもこの間の公演は子どもまでいて、いろんなプロが集まる舞台で、彼らのパワーアップを図ろうっていう試みですからね。そこはこちら側も、詐欺師のように大きなホラ吹いて、その気にさせていく。でもみんながその気になった時、パワーが生まれていく。農業などをやりながら活動している一座がよく頑張り、一番上だと80何歳の方たちがいたけど、泣き崩れていましたからね、幕が降りた時に。
姜 そういう経験は今までなかったんですね。
横内 自分たちが持っているものが、どれだけすごいのかってことが分かったと思います。それを味わえる体験があったから、今、清和文楽で、レパートリー化できました。そこに行くにはこの体験がないと、多分うまくいかない。
姜 舞台上に出演者が200人でしたか、壮観でしたよ。それを掌握するためにはいくつか仕掛けを設けなければということもあったと思います。
自主事業ハイライト 第64回熊本県芸術文化祭スペシャルステージ ONE PIECE × 人形浄瑠璃 清和文楽 超馴鹿船出冬桜 ちょっぱあふなでのふゆざくら – ほわいえ
伝統芸能と現代演劇
姜 歌舞伎で貴重な体験をされていますよね。伝統芸能は、ある種の様式的なものがありますが、様式美を守りながら壊す、あるいは、どのように様式美と現代演劇とつなげていかれたのでしょうか。
横内 様式美のエッセンスは現代に使えるものがあるし、むしろ忘れられているところがあります。僕はこれを、たまたま歌舞伎一座で、三代目市川猿之助(二代目市川猿翁)さんと仕事をさせてもらって、仕事をやりながら覚えたことなんですよね。日本的な「間」ってどういうものか。大きな空間をどういう風に見せていくのかということ、それは猿翁さんに習いました。猿翁さんは本来盗んだり叩き込まれたりしないとわからない歌舞伎文法を、論理的に説明してくださった。
例えば誰か主役がいて、役者が後ろに並んでいる。現代劇、蜷川幸雄さんの演劇は群衆の芝居って言われていますけど、蜷川さんは後ろの背景、アンサンブルたちが常に動いてないと怒ります。ローマ市民とか、ベネチアの市民たちが、じっとしていると怒るわけです。ここで喧嘩が起こっているのに、なぜお前ら何にも動かねえんだ、と言って怒られる。挑発していって、民衆の活力を引き出していく。でも歌舞伎は動いちゃいけないことが多々あるんです。決闘しているのに、後ろでは侍が微動だにしない。あれはおかしいだろうって思う。だから僕ら現代演劇人があの場に立つと、つい反応しちゃうんですけど、それはやめてくださいと止めるんですよね。なぜですかと言ったら、二人を際立たせるために後ろは動かない。現代演劇ではないが、それが歌舞伎の持つ表現なんです。見たからといって、いちいちびっくりするとか、声を上げるとか、それはしない。最後に何が得られるんですかと聞くと、それは究極の美ですと。美しい立ち回りを見せる。後ろが動いたら拡散するから止まっている。その代わり動くときは思いっきり動かす。
それはこの県劇での公演でも随分使っているんですよ、実はね。あの小さい人形に光を当てるために。うわーっと思いっきり動かして、人形に行かないと。ずっと人形だけでやっていたら退屈でしょうがない。それから人形浄瑠璃の良さもあります。公演全部を人形浄瑠璃でやったらあんなに長い話はできない。でもここだというときに使うと、情緒がよく伝わるから、いいとこ取りをしました。それは伝統芸能に触れていなければ分からなかった。
姜 それは横内さんが現代演劇をやられた経験の中では、なかったような体験でしたか。
横内 ないですね。現代演劇の文化の問題でもあるんだけど、みんなオリジナリティを競い合っている。短い歴史の中で、それぞれやっているわけですよ。鈴木忠志さんのメソッドもあれば、平田オリザメソッドもあるし、つかこうへい様式もある。もちろん影響を受けることもあるけれど、それぞれポツポツとある。一方で、例えば歌舞伎の場合、トライアンドエラーの蓄積があるわけじゃないですか。まずびっくりしたのは、とにかく師匠のマネをしろ、それに疑問を持つなと。オリジナリティは要らないわけですよ。師匠はそうやってないだろうって。それって僕らが育ってきた環境と全然違う。
特に現代劇なんていうのは「人の真似をするな」だった。学校もそうじゃないですか。型にはめるっていう言葉。それはもうやめようって言うような世の中でしょ。でも古典芸能の場合は型にはまる。 まず手本は師匠。個性ってそれで死ぬと思うじゃないですか、 僕らが受けてきた教育の中ではね。型にはめられて師匠の真似しかできなくて。 ところが歌舞伎俳優たちというのは同じ演目をやっても、みんな違うわけです。逆に個性が際立ってくる。さらにその個性を際立たせる土台が型にはめられたことによって、みんなしっかりしているから、圧倒的な説得力がある。しかもその型っていうのは、多くの人たちがトライアンドエラーを重ねた結果だから、間違いないわけです。分かんないときはその型に戻ればいいけれど、そのときのインスピレーションとか、本人の性格とか体型が違う表現にしていく。それはやっぱりすごいなって。
姜 歌舞伎での経験は、今回の清和文楽公演でも活かされましたか?
横内 チョッパーやルフィの人形を使っていますが、特にチョッパーは淡路人形座の人形遣い、プロがやってくれて。淡路の人がチョッパーを遣うと泣いているように見える。ぬいぐるみだから、表情なんて変わらないんですよ。でも人形遣いが違うと、チョッパーの顔が曇って見えたり、悲しげな背中が見えたりするわけね。そんな型があるはずがないんですが、型が徹底的に入っている人は、たとえチョッパー人形であっても、その型がちゃんと生きて、オリジナルの表現も生きるということに気づかされた。伝統とか、自分たちが守ってきたものの本質に、清和(文楽)の人たちも今回気づいてくれたんじゃないかなと。
姜 抽象的なんですが、拘束というか、押さえつけられる経験がないと、自由というものが分からない。型にはまったのと、自由奔放と、逆のようでありながら、型にはまった中から自由奔放なものが出てくるのでしょうし。現代演劇はその型を外していくという方向に一時期動いていたんですか。
横内 というか、型がなかった。自分で作るしかなかった。もしくは、人が作ったものをぶち壊すか。一番大きな潮流は、新劇が作った新劇の型。それをアングラの人たちはぶち壊している。そのことはとても刺激的で面白かったし、その流れの中に僕らもいる。今になって新劇の型の有効性もすごくわかります。
例えばセリフ一つとっても、アングラはまあ劇場ごと壊しちゃいましたからね。劇場の枠組みを壊すことがアングラの第一歩だったんです。それでついに外に出ちゃった。でも外に出ると、野外やテントだと声なんて聞こえないことがある。風に負けますからね、一切聞こえてこないです。でも、途切れ途切れに聞こえてくる言葉が詩であったり、ある叫びの一瞬が、風が吹いていると突然悲しくなったり。それは劇場を壊したから出てくるものでしょ。
でもみんな辛くなって、やっぱり暖かいとこでゆっくり見ようよってなったとき、アングラ流の発声では何を言っているかわかんない。じゃあ誰が言葉に神経使ったんだろうっていうと、新劇の人たちだった。この人たちはずっと、日本語を西洋演劇にどうやって当てはめようかと、発声法を考えていたんです。でも本当は歌舞伎とか日本の踊りの中に、日本人の体に合う発声法とか、表現方法があった。でも歌舞伎は、明治時代に排斥運動が実際に起こっています。歴史が、政治が、経済が、文化さえ違うものにしていく。伝統芸能の人たちと出会ってから、日本の教育もね、もしかしたらその型にはめるとか、徹底的に所作を覚えさせるとかが必要かもしれないと思うようになりました。
姜 よくわかります。やっぱりカノンというか、こう、経典的な何かメジャーがあって、そこに初めて自由自在も生まれる。今の若い世代は意外と、そういうノリを超えたり、破ったりっていう、スリリングな体験、まあ映画もそうだったし、いろんなジャンルで法や規則やルールを破っていく、そういう体験が、前よりは無くなったんでしょうか。
横内 どうなんでしょうね。仮想敵国があった人たちは幸せだよね、表現者としては。新劇をぶち壊せって言うと、暴れがいもあったろうな。でも、アングラはもうぶち壊しようがない。俺らどうしようと思った時に見つけたのは伝統芸能です。
姜 素晴らしい発見ですよね。
横内 アジアの話になりますと、「踊るアジア」っていう舞台(2007年)をやりました。日本舞踊の舞踊家2人、韓国舞踊の舞踊家2人、タイの舞踊家2人、バリの舞踊家2人、8人がコラボレーションした実験舞台。その時に各国全部の稽古場に行かせてもらいました。タイも行ったし、バリも行ったし、韓国ももちろん行った。みんな伝統芸能なんで、やっぱり同じでした。
その教え方は、師匠がいて、先生がいて、まずこの型を覚えなさいと。もともと、中世以降ね、芸が生まれたときは、名人にならって、その真似から始まるっていう文化だったんだろうと。でも各国、このままではその文化が滅んでしまう危機感を持っているから、タイは王宮の舞踊団が優秀な若者を集めて、後に王立舞踊団になる。韓国は日本と同じく自分で教室を持っている名人とお会いしました。バリは村々に踊りの先生、達人がいるので、その村が開放して子どもたちに教える。まずは名人の踊りを覚える。優秀な子がいた場合、優れた人たちが集まるところに送り込む。それで伝統を守っていく。見ていると、体から体へマニュアル化されていて、歌舞伎での師匠から弟子に移していくのと同じことをやっているんだなと。
僕らの学校で習ってきた芸術みたいなものは、ドレミファソラシドでそれは西洋の凄さではある。猿之助さんの受け売りですけど、西洋の場合はドレミファソラシドから始まるとか、バレエの場合はポジションっていって、立ち方の1から5番までっていうのを徹底的にやっている。日本の芸能は違うんだよね。いきなり曲やるからね。僕、長唄三味線習ったことがあって、その時もいきなりですからね。ドレミファソラシドはない。なんとなく三味線に勘どころってね、ここ押さえるといいとかの、印だけは打っていい。音だけが頼りになるんですけど、それはもう無理。いきなり「松の緑」の長唄の小曲を先生が弾いて、はいやってって。基礎ないんですかって聞くと、ない。この音が出るまでやる。恐ろしく原始的じゃないですか。だけど、なんかそういう体系化されてないけれど、この知恵はこれで何百年もやってきたんだと思うと、なんかこっちの方が利口なんじゃないかなって。
姜 美術も音楽も全部教育になってしまって、マスターがいたり達人がいたり、そういう人から雰囲気とかいろんなものを学んでいくのは、教育現場ではなくなっている。その体験は非常に新鮮でしたか。
横内 国内留学でしたよ。まず、伝統芸人と会うことがね。物の考え方も違うし。
姜 若い時、自分が志した現代演劇には、なかなかそういうのは視野に入っていなかったですか。
横内 全然ない。一国一城の、群雄割拠した新劇ブームの中の一人ですから。面白い表現をして、お客さんを増やしていく、ということを競い合っていた。でも残念ながら、このブームは永遠ではなかった。その時に、次どんな仕事やるかっていうと、よそから来た仕事を受ける。でも、それまで200人の小屋、広くても紀伊國屋ホール(新宿区)の400人とかだった。もっと広い劇場で通じるドラマって何なのか。ザ・スズナリ(下北沢)では大丈夫だったけど、大きな劇場になった時に、 このストーリーで持つのか。何千人が同時に見るってどういうことなのか。その時には何の武器もない。だからもう一回学び直さないといけなくなる。
姜 そうするとTPOを考えて、お客さんの反応とか、建物の構造とか、総合的な直感みたいなのが必要になるんですね。
横内 はい。でもそれは直感じゃなくて、経験に基づくものですね。自分で経験してきましたけど、実は知恵がちゃんとあるんですよ。それがうまく共有できてないだけで。
姜 意外と足元にあった。自分の知っていたところに。
横内 みんなが歌舞伎界とつながりを持てるわけではないけれど、狂言の人たちの考え方もとても面白いですし、使えるものは絶対ある。だけど交通がない。実はアジアと交流する以前に国内での交流がもっと大事じゃないのかって思います。
姜 縦割りになって、日本の中での交流、内地留学というか、そういうのがなくなってくる。ケミストリーが必要になってくると。
横内 今感じるのはね、清和文楽も面白いことをやっているけど、文楽館に近い地区に住んでいる人たちがこの夏にみんな見ているのか。結構客席が空いちゃっているんです、いろいろやっているのに。なんでだろうって。
姜 海外、特にヨーロッパで評価されると、初めて日本で話題となる。それから、例えば伝統芸能のイメージを壊した。そこから新しいものが出てくるはずなのに、それが定番にならないというか、わかりやすさにならない。正統と異端ということがあればね、必ず正統に対して異端がチャレンジして、なぜそれが正統なのかって、問いかけをして変わっていくと思います。
他は、アングラも含めて、異端の扱いだったときにスポットライトが当てられる。唐(十郎)さんで言うとNHKの大河ドラマ、「黄金の日日」かな。確か唐さん本人も出たんじゃないですか。主人公は歌舞伎役者の(六代目市川)染五郎さん。李麗仙さんも出ていましたよね。あの時、異端なメジャーがメディアに出てきた。その時に、常に尖ったイノベーションをなす異端的なものを内側に取り込んでいく。そうするとだんだん内部に入っていって、いつの間にか分かりやすいものにさせられていく。最後まで異端にこだわった人もいるし。やっぱり横内さんも絶えずそういうせめぎ合いがあるんじゃないかと。
横内 僕は、最初からポリシーがなく、すべての舞台が好きっていうスタンス。一つ言えるのは、自分の劇団を持ち続けている。ここがちょっと違うところです。やることが全部、いわゆるお客さん集めのエンターテインメントになっているわけではなく、劇団の中での活動は自分の自由としてできるし、実験もできるし、そこが僕の中でのバランスかなと。
姜 横内さんの中にあって、絶えず意識しながらバランスを取ろうとしているんですか。
横内 たまたまそうなっている部分もあります。劇団をやっているのは、ただの苦しみでしかない時間が多いんですけれども、自分にとって大事なものがここから生まれている。作品もそうだし、経験もそうだし。意外に普通のことをやってきているんですけど、今44年目かな。
姜 絶えず座長としてみんなを引っ張りながら、ありとあらゆる役割を果たしているわけですね。
横内 経営していますからね。
姜 そして脚本も書いて。今で言えば町工場のような経営者でもあるわけですね。
横内 正式な身分は中小企業の社長です。これで学ぶことも多いです、中小企業の社長をやることでね。もともとビジネスマンだったうちの親父が、仕事がなくなってから僕の劇団を手伝ってくれていました。たまたま地元の信用金庫と付き合ってくれていたんですよ。何かあったとき、銀行っていきなりは貸してくんねえんだって。信用金庫とかにね、多少の貸し借りがあるのが大事なんだと。そしたら、コロナ禍に信用金庫から借りませんかと言われた。コロナで劇団が絶対潰れると思っているときに信用金庫が来て、御社の場合何千万まで借りられますと。無担保で。これは国が救済措置として中小企業を救うために出したお金ですと。
姜 コロナの時に、演劇人の、特にフリーの方はどうするかっていうのはね、我々が何かできることじゃなかったんですけど、なんとかこの劇場で、あるいはオンラインでやるかとか考えました。その時に、劇団のような組織を抱えている横内さんみたいな方が、何を考えたかっていうと、存続でしょ。中小企業の企業経営者としてやっぱり行動しないと。
横内 あの時いろんな援助とか出たでしょ。文化方面でももらえたし、中小企業救済みたいなのもあったし。実は、芝居をやるより楽だった。うちは劇団員といっても、契約はその度ごとの公演なので、抱え込んではいないんで。抱え込んだらもうあっという間にやっていけなくなるんですけど。
姜 演劇でも音楽でもアートでも、それを支えているのは、スタッフがいて、劇場が成り立っていますから。そういう話は、なかなか出てこないわけですよね。それをしっかり踏まえないと、これから存続できる可能性もどんどん縮まっているんじゃないかと。
横内 伝統とは乖離しているとは言いながらも、現場で培われた技術は、長くいないと分からないことが多々あるんですよ。コロナで廃業しちゃった企業、スタッフ、彼らが持っていったノウハウを、もう一回作り直すというのは大変です。潰すのは簡単ですけど、立ち上げるのには何十年もかかる。たった一人の優秀な舞台監督を育てるのに何十年もかかる。舞台俳優も舞台で響くセリフが言えるようになるには10年かかる。感性が良くていい芝居を見せられても、セリフが自然にみんなに響くのは、どんなに頑張っても10年ぐらいの経験がないと成立しない。だから、失われた財産もすごくあるんじゃないかな。
コロナの時にいろんなことを経験したんですけど、今後のテーマをもらったなと思ったのは、非常事態宣言があって、まず事務所を閉めました。で、どうしよう、これで終わりかもしれないね、水杯でもするかみたいな感じになった時に、安倍(元)首相が演説をしましたね。しばらく日本も活動を止めますと。その時にエンターテインメントの大切さは分かっておりますが、不要不急で、しばらく我慢していただきたいと、そんな感じです。確かその後、ドイツ政府が文化芸術は生命維持措置なんだから、真っ先に守ると。そこがね、まだ日本は、西洋に対してこうべをたれなきゃいけない理由なんじゃないかな。
姜 僕もその言葉を引用したんですけど、演劇や芸術がないと、社会的な酸欠状態になって、みんなは息すらできない。ウイルスだけではなくて、社会全体がこう、崩壊しないにしても。大変なことなんだよっていう、いろんなことを3年近くは学ばせてもらいましたよね。
こういう中で、「ONE PIECE」を通じて清和文楽を、この伝統芸能を、ただ守るっていうわけではなくて、表現者としての決意や、オーディエンスとどうやってしっかりとやれるかっていう、自覚っていうんでしょうかね。それが今回横内さんを通じて、残ってほしい。清和文楽は地元でね、あの2日間の出来事を忘れないように伝えていってほしいなと。
横内 姜さんとお話しさせていただいて思うのは、経済の世界にはまだいるのかもしれないけど、特に政治の世界で劇場に来る人が少なすぎる。僕は(神奈川県)厚木(市)文化会館の仕事もしているけれど、厚木市会議員、市長、付き合いで何人か来てくれるけど、劇場に来る政治家が少ない。国会議員は、まあお忙しいんでしょうけれども、必ず演説では、文化芸術だとか教育だとかっておっしゃるわけじゃないですか。でもそれが本当の意味で値打ちがあるのかどうか分かっちゃいないんだなって。劇場に対する理解がないし、そもそも見たことないんじゃないかなって思う人たちが多い。
姜 熊本県知事はよく劇場に足を運ばれる。うちで和太鼓(公演)をやったんですけど、これも素晴らしかったですね。そのときも、政治家の方もおいでになって。幸いなことに、前より広がるようになってきた。ただ、これが全国そうかっていうと、全然違うと思う。
横内 姜さんに伺いたかったのは、どういう気持ちでここ県劇の館長を引き受けられたのか。
姜 当初からアジアとの関係が視野にありました。でも、地震が起きて、それから、日韓関係も緊張して、そして、新型コロナ。今やっと自分がやりたいことができる。一つはシアターアジアみたいなものをやって、演劇人やアーティストのアジア間での交流を深めたい。
それからもう一つは、演劇や芸術をドイツと比べた場合、ちょっと日本は意識が低い。なぜかというと、日本社会は製造業を中心に作られてきた。その製造業にふさわしい人間をどうやって大量に作っていくかが必要になる。でも、日本はもう製造業のピークは終わって、これから高付加価値をつけていくはず。付加価値っていうのは目に見えないもので、横内さんの作品を見たりすることで、付加価値が若い人たちに芽生えるわけですよね。意外とアメリカのCEOは文化系が多くて、文学とか芸術とかそういうものに通じている。芸術や文化、こういうものが廃れると、日本の付加価値化はずーっとダメになる。日本がなぜ今、少し低迷しているかというと、やっぱり文化産業とか、文化国家とか、こういうところに目が向いてないからかなと。今、文化国家と言っても、みんなピンとこないんじゃないかと。
だから今の横内さんの問いかけに答えると、高付加価値を作るのはアートしかない。アートで感動する、そういうものが日本の伝統芸能の中にもあれば、そこに新しくスポットライトを当てて、高付加価値を作れるようにしたい。高付加価値ができる大学って実はないんですよ。ブランディング大学もない。僕はヨーロッパの何がいいかっていうと、美術館とかどこでも子どもたちがいるんですよ。でも、日本の経済体系だと難しい。横内さんは大変だと思うんですけど、横内さんの仕事は日本の将来にとって大きな存在。我々もそういうのをプッシュしていけるかなと。
横内 ぜひお願いしたいけども、そんなに残り時間もないんですよ。気がついたらずいぶん時間が経ってしまっている。
姜 あと5年でギアチェンジしないとね、失われた50年になるんじゃないかと思う。やっぱり文化融合みたいなことをしないとね、アジアとの関係含めて。日本はそれだけのポテンシャルがある。今回の対談を通じて、横内さんからそういう問いかけが出るといいなと。
横内 姜さんはアジアの平和や、悲しい歴史をいかに乗り越えて未来に向かうかということをお考えになられていて。国際政治をずっとご専門になされていて、論客でもあられる。でもその立場であった方が、今文化をやっていることが、世の中的には、もうそこを諦めたんじゃないかと思われているのではないかと。余生は、お茶すすって過ごすみたいな感じに。とっても失礼なことだと思うんですけど、僕は違うだろうと思いながら伺っているんですけど。
姜 横内さんと話していて、ひとつだけ違うなと思ったのは、挑発する力はなくなったかなと思いきや、横内さんはまだまだ。おそらく多くの演劇人が最後まで、挑発するということは、鼻っぱしがあるということですよね。
僕はこの県立劇場を預かって、アジアとの交流で、アジアの中での文化振興が必要だと。経済力でヨーロッパに勝っても、文化的にはまだ我々は負けているわけですよね。でもアジアには、独自の文化がある。ケミストリーを起こしていけば、まだまだアジアの可能性はあるんだ、そんなふうに支えていければと。
横内 とても勇気の出るお言葉ですね。
姜 横内さんの試み、横内さんがやってらっしゃること、これからも、もうちょっと我々ともタイアップしてやっていければ、と。
横内 清和文楽は始まっちゃっているんで、見捨てるわけにはいかないですよ(笑)。
後継者問題
姜 文化政策、文化国家、あるいは文化のあり方について。今後、後継者というか、それは横内さんに問題意識があって、やってらっしゃるところはありますか。
横内 まず、これはもう松竹株式会社が言ってくるんだけど、今まで(市川)猿之助さんと作ってこられたスーパー歌舞伎の台本みたいなものの作り方を誰かに言っておいてもらわないと困ると。そういう人がいないとできないんですよ、と。自分が年だと自覚してないときに言われるんで、 ハッとするんですけど。僕も20年ぐらいかかって、なんとなく習い覚えたことだった。やっぱり作家もそうで、演劇好きの、そこそこ台本を書いたりする人間も、じゃあ、新橋演舞場や歌舞伎座をいっぱい見ているかっていうと、そんなに見ていないんですよ。下北沢で芝居見るのに比べると、(入場料を)3回分ぐらいは払わなきゃいけないし、1回見ただけだと分かんない、難しいものもいっぱいあるし。やっぱり後継者作りが深刻な問題ですよね。
自分の私塾は持っているんですよ、劇作家の弟子のようなものは何人か置いておいて。ちょっとした手伝いはさせる。それと松竹に言って毎月歌舞伎は見られるようにしている。空間を理解できない限り、花道がどんなものだとか、芸能の本質みたいなもの、そういうことがわかんない。そういうところってもう現場が考えてやるしかない。
歌舞伎は三代目(市川猿之助)が偉かったと思います。あの人がいなくなっちゃったことがとても大きな損失だと思うんですけども、歌舞伎だって別に血が躍るわけじゃないよと。ただ家に生まれると、朝から晩まで邦楽が流れているし、親父がずっとやっている姿を見る。だけど外から学んだって学べないはずはないと。実際、澤瀉(おもだか)一門は歌舞伎研究生をとっていますし、何人もそういう者たちがいて、今も一座を支えている歌舞伎俳優になっているんです。あの理屈みたいなものをもうちょっと広げていけばよかったのに、今、歌舞伎研究所もほとんど人が来ないらしいです。それで何が起こるかというと、立ち回りで斬られて一回転して背中から落ちる、斬られ役がいなくなる。とんぼという技術で、危険な技なんですけど、研究所に入ると全員やらされて。今閉鎖になっちゃいましたけど、半蔵門の国立劇場の裏の窓から見ると、とんぼの練習場が見えます。砂場があって、砂の上に落ちる練習をするんですが、澤瀉歌舞伎って、とにかくスペクタクルですから、ダーッと切ったら、十人一斉にとんぼを切って、バタンと切られる。それができる人がだんだん減ってきて。これじゃああの場面作れないじゃないか、ということになってきて。本当に急務だねってなったときに、今、若手で日本舞踊界を背負っていて、歌舞伎界でも振り付け合いができる(尾上)菊之丞さんと(藤間)勘十郎さんという2人がいるのですが、勘十郎さんはアクションチーム、本当に戦隊もののアクションをする人たちに歌舞伎にも出てもらい、立ち方とかを仕込んだ上での体の柔らかさ、体が効くところを使って歌舞伎の演出を成立させようじゃないかみたいなことをしています。
姜 なるほど。扉座は何名いるんですか?
横内 今30人くらい。でも今、ヤマトタケル(スーパー歌舞伎:令和6年10月に博多座で開催)に10人くらい出向しています。うちのメンバーもそうやってずっと、ヤマトタケルは古典歌舞伎ではないですけど、手法は歌舞伎が使われていますから。それこそここは歌舞伎の形で並んでくださいっていうのを、否応なく何ヶ月もやっている。
姜 劇団の中には、例えば舞台の方もいらっしゃる?
横内 劇団員は、制作と俳優。あとは外注です。
姜 横内さんのようにシナリオというか、書かれる人って、育っているんですか?
横内 それは扉座とは別で、私塾で何人か持っています。
井上ひさしさんとかと劇作家協会で育成しようっていって、セミナーもずっとやっていて、優秀な人も出てきているんですけどね。20年くらいやっています。その時に井上さんがおっしゃったのは「私がやりたいのは劇場付の作者部屋です」。歌舞伎小屋の中に作者部屋があって、何人も書いていて、ここぞというところだけ先生が書いて、あと若手が序幕だとか、弁当幕のようなつなぎの場所は弟子たちが書く。その作者部屋ってずっと台本書く仕事があるわけじゃなくて、表の下足番の代わりやったり、お客さんの使いっ走りをやったり、役者の世話やいたり、そういう人です。何が素晴らしいって、そのことによって芝居を覚えるんです。井上ひさしさんはフランス座というストリップ劇場にいらっしゃったでしょ。本当に作家とか育てようと思ったら作者部屋なんだよとおっしゃっていて、だから私も扉座作者部屋を私塾で持っている。セミナーで優秀だって言われた卒業生とかを集めて。定期的にレッスンがあるわけではなく、ちょっと手伝ってとか言いながらですけども。
井上ひさしさんが、やっぱり劇場付きの方がいいよと。劇場さえわかっていればある程度のことは書けますから。だから、本当は県劇の中に県立劇団っていうのがあって、子どものために冬にはクリスマスの出し物をやり、夏には子ども向けをやり、秋と春に大人向けのものをやり、 ワークショップ事業をやるとかが理想で。暇な時は劇場の掃除とかでもするとか。
姜 横内さんはそういう希望はないんですか?
横内 僕は扉座をどっかが丸抱えしてくれるっていうなら喜んでやります。劇団員が嫌だといっても何々県のどこどこじゃって言って、無理やりにでも行くつもりがあるんですけれど(笑)。
今、ものづくりするのは、清和(山都町)にいて、不便は感じなかった。公演前にひと夏いて、こないだも、春2、3週間あそこに籠っていましたけど。まあ、遊びに行けないとかね、そういう問題はあるにせよ。ここで人形浄瑠璃のことだけ考えてやって、現場で作って、現場で見せるわけだから。こんなに贅沢なことはないんですよ。僕ら狭い稽古場で作って、いきなり広い舞台に持っていって、全然思っていたのと違うみたいなことばっかりですから。
姜 今まで映像の世界に進出していこうとか、そういう誘惑は?
横内 ありました。バブル(景気)の頃は、映画撮ってみるかとか、あの頃みんなやりましたからね。小劇団とかそこそこやっていると、そういう話が来たりします。興味深かったけど、芝居の予定がもうちょっと、早く決まっていて。それとね、私は三木のり平さんの最後の弟子と勝手に言っているんですけど。
姜 三木のり平さん、僕はもう大好きです。あんなにユーモアのある俳優さんいなかったですよ。三木のり平劇団を持っていたと思いますが。
横内 私は三木のり平さんの晩年しか見てないですが、たまたま僕がやっている芝居に監修として来てくださって。あんまりにおもしろいので張り付いて聞いていたのね。なんで三木のり平さんの話になったんでしたっけ?姜さんの食いつき方が激しすぎて(笑)
姜 後継者をね、どうやって育てるのかという。
横内 ああ、それで映画の話。結構ね、僕、三木のり平先生に可愛がってもらったんですよ。お前、面白いこと考えているね、とか言って、芝居の作り方とか、演出の仕方とか教えてくれた。とても影響がありましたね、僕らまだアングラの、つかこうへいの影響下だったから。稽古場まで見に来てくれていたんですよ。厳しいダメ出ししてくれて。稽古していると、大声で役者が喋るんです。つかこうへいですから、スピーカーに負けない大声で喋る。で、いやいや、セリフはね、なんでお前らそんなに劇場の外まで聞こえるような大声張り上げるの。フリースタイルもいいが、お客さんに聞こえるようにやんなさいよって。声がでかすぎるっていうわけですよ。劇場の中にいるお客さんに届けるのがセリフだろうと。
それから、「女殺油地獄」って芝居の稽古の中で、出刃包丁を若い役者がくわえて女を殺す場面で、出刃包丁をカーッと目を向いて、噛んでいた。近くで見ていると迫力あったんだけど、先生が口は閉じなきゃダメだと。なぜですかって言ったら、遠くから見たら笑っているように見えちゃう。これを笑いながらやると陰惨さが出ないから、笑っているように見えないように、口を閉じてやってみせてくれたの。芝居の名人なんで、もちろん笑わせるのも名人ですけど、あんなに芝居の技を持っている人はいない。やっぱり口を閉じた方が、絵になるわけです。
姜 お客さんに聞こえるようにと、今回の清和文楽公演でも横内さんはセリフとかは…
横内 劇場サイズで、外の道にまでは響かなくていい。そりゃそうですよね。お客さんには、どんなに熱演したって通じないものがある。汗は見えない、涙は見えないと。どんなに泣いたって、泣いているように見えない限りダメだと。それはやっぱり…恐ろしさとか見せるのも、お客さんがどう見えるか。その知恵が芝居にあるんだよって、なんでお前らそれ知らないのかって。習ってないですからね。そこらへんはね、のり平さんすごく教えてくれたんですけど。
そののり平さんが、あるとき「お前ね、芝居ほど面白いものないからね。映画とかの話がきても全部断れ」って、一言ぽつっとおっしゃって。勝手に弟子とか言って喜んでいましたけど、先生に人生決められることはないよと思ったけど。でもね、なんとなくそれは耳に残っていて、あんまり映画の方を大事に思わないようにしました。芝居やってりゃいいんだ、と。
姜 人を通じて、そこで体で覚えたものとか、学んだものとかが、本当に重要だという感覚はあるんですね。
横内 教科書にできないことが多すぎる。言ってみれば簡単なんですよね。これはお客さんから見てどういうことだよって。それって口を開ける、閉じるとか、単純なことなんだけど、でもそういうことか?って。
姜 大学の卒業式で、薫陶って言葉を使ったんですよ。でも学生が分からない。先生、薫陶って何ですかって。だから何だろう。その人のフレーバー、香り、その人を通じて、粘土をこねるように、自分が変わっていくような。そういう、学校教育から薫陶という言葉が消えてしまって。全部マニュアル化していかなきゃいけないというか。
横内 マニュアルの中にメンターはいないですよ。メンターとの出会いが、特に僕らの職業にとっては絶対不可欠だと思うんです。
姜 大学もね、良かったのは、メンターになる人がいたので、薫陶を受けたっていうか。至る所にそういう音楽や演劇や芸術は、薫陶を通じて、伝わっていく。それが観客にも伝わるし。意外とそういうのは伝統芸能がやっている。
横内 でも、三木のり平さんは伝統芸能の人じゃないですからね。新劇の舞台美術から始まって、あまりに面白いから舞台美術なんかやっているんじゃないよって、表舞台に担ぎ出されて。もともと新劇なんですよ。テレビや映画で見せているのは、もちろん面白がりながらやっていたと思うけど。お前ね、芝居以外やんなよって、どっかであの人の本音だったんじゃないかなって。
姜 横内さんから三木のり平さんの話が出てくるのが意外だったのですが。僕なんかは若い時に新劇見ていて、発声練習とか、それから青い目の金髪みたいな、そういうバタくさい舞台を見ていると、どっかこう不自然なものだっていうのを感じていたんです。でも今思うとあの発声、音、声ですかね、すごいなっていう。
横内 一つのアプローチとしてすごく有効であった。でも西洋の技法を、やりすぎていて。今となっては、浄瑠璃を習った方が、日本語の正しい聞こえ方になるんじゃないかと思う。
「澤瀉屋!」って掛け声がありますけど、専門家は、「だかや!」って言うんですよ。「おも」は言わない。「だかや!」って。でも、「おもだかや」に聞こえる。浄瑠璃の人と話していると、たまに作曲していただくじゃないですか。今回の「ONE PIECE」も鶴澤清介さんって名人に作曲していただいたけど、僕、以前歌舞伎の(竹本)葵太夫って、人間国宝になった人に作曲していただいて。実際テープで葵さんの録音も録っていたんですが。トンボがとても大事な場面、芝居のクライマックスで竹トンボが飛んできて、一番のクライマックスは、「飛んでくる竹トンボ!!」なんです、気持ちとしては。だけど、叫んだらトンボという語感がなくなる。だから、「(小声で)竹トンボ」って終わるわけ。どんな新劇の授業より、こっちのほうが勉強になる。語感とかイメージによって、話し方が変わりますし、その時には、この母音を立てるんですとか、葵さんも教えてくださって。日本語の発声は、日本の伝統芸能の中にあるよと。狂言にしても、歌舞伎にしても、一番響く声はあの人たちが持っている。
姜 俳優さんが主観的に頑張ってそれを表現しようとしても、全く表現になっていないということもある。
横内 言葉をバラバラにしちゃいますからね。つながりとしての言葉をどう美しく語るかっていうことが大事なんだって、僕は思っている。肉体的に鍛えて作り上げた声は素晴らしい。その人の体ってあるじゃないですか。僕は姜さんの声ってとっても良いと思う。どこで声を鍛えられたんだろうって思うぐらい響く良い声。だけど、姜さんの体だからこの声が響いているんだと思うのね。それをみんなができるかというと、ある程度は行けるかもしれないけど難しい。だって、寅さんをやっていた渥美清さんは、肺が片っぽなかった。肺が片方ないと、俳優的な物言うすべとか、劇団四季的な発声ができるはずがない。でも、あんなに豊かに日本語を伝えている。日本の啖呵もそうだと思う。バナナのたたき売りみたいなの。そこに日本語の正しい発声があるんじゃないかな。集まった人たちに聞こえる声。それはやっぱり西洋演劇の方法を取り入れ、翻訳劇をやるために取り入れようとした限界だと。
姜 貴重なレクチャーですね。演劇は人の体つきとか、その人がどういう呼吸をしているかも含めて見ていくと、すごく奥が深い。やっぱり今回(の「ONE PIECE」と清和文楽)の公演は、伝統芸能の方々が、ある意味では表現者として、プロというよりはちょっと違う、そういう人たちを集めて、しかも出演する市民が200人。これは最初考えたときに、うまくいくだろうかと思いましたが、そのあたりはどうですか。
横内 「ONE PIECE」という作品の魅力です。全てをまとめてくれた。それはね、尾田(栄一郎)先生の思いも含めて、素晴らしいものだと思うんですよ。全世界に人形劇団と言われているものが、おそらく何万とありますよね。人形劇が、芝居より盛んな地域っていっぱいあるので。そこに「ONE PIECE」という作品があるから、やらないかと言われて、手を挙げないところはほぼない。でも、許されているのは清和文楽館だけですから、この県劇でやれたわけでしょ。清和(文楽)のおじいちゃんおばあちゃんたちは、知らなかった「ONE PIECE」をやるって言って周りにびっくりされて。この間集まった出演メンバーも、当然「ONE PIECE」を読むし、みんなそれぞれに感動して、それぞれに好きなキャラクターがいるものだし。あの素晴らしいものをここに貸していただけているっていうこと。相応の責任は生じるけど、最大の武器ってことは間違いない。
あの物語もやっぱり、日本なんですよ。尾田先生が書いている義理人情。もちろん少年ジャンプは夢と冒険と希望なんだけど、根底にあるのは義理と人情の話。それから日本人の琴線に触れる場面、いわゆる子別れとか。Dr.くれはがね、古い芝居でいう愛想づかしですからね、お前早く出ていけって。顔で叱って心で泣いてっていうやつは。あの情緒みたいなものは本当に我々に合う。おそらく外国人の感性ではちょっと読み違えるところがあると思う。自信を持って言えるところありますよね。表面上のストーリーとちょっと違う。何か違う情緒みたいなものがないと、ここは読み解けないと思うよ。
姜 今後、演劇の場面でも、今回のようなケミストリーが生まれるものは、あり得ると思うんですよ。
横内 2.5次元の、人気アニメやゲームがどんどん舞台化されていますが、もう一つ突き抜けた、舞台としてのオリジナリティを持たないといけない。今、お客さんたちは再現度を確認しに行っている。だから、清和文楽は、その意味でも一歩チャレンジしています。だって、ルフィじゃないですもんね、あれ。チョッパーはさすがにチョッパーで出しましたけど。あれ、厳密にどう見たってルフィじゃないよね。ナミだって違うんですよ。でも、子どもたちや、アニメーションで育っている人たちに、あのスタイルでルフィとして受け入れてもらえるかどうか、みたいなこと。
清和(文楽)の場合みんな黒衣着て、ルフィのうしろに3人もいる。こんな人たちが操っているんだって見えるじゃないですか。ところが、いい芸はあの人たちが消えるでしょ。そして、動かない顔、動かない表情の中に悲しみや怒りが見えてくるわけですよね、上手にやれば。そういうものを感じ取った観客っていうのはちょっと違う。そこにはまったらこっちの方が強い。
姜 アニメ世代の人たちが、あれを見た時どう感じるか。
横内 とても興味深いんですよね。黒い人たちが邪魔って思うのか。そこは芸の勝負でもある。銀座セゾン劇場が開館するときにピーター・ブルック(演出家/イギリス)を招いて、彼の「カルメンの悲劇」を上演しました。その来日の際、彼にいろいろ見せた中で、一番(彼の)興味を引いたのは人形浄瑠璃。見ているうちに、あのおじさんたちが消えると。操り手たちが消えていく。これはなんという魔法だって、興奮していた。そんなすげえもんなんだ、そう思えてない俺らは何か取り逃しているなと思っていたのね。そしたらさ、「ライオンキング」が生まれたじゃないですか。あれの中に人形浄瑠璃の技法がいっぱい使われているし、あの演出家が、女性で天才的な人(ジュリー・テイモア)ですけど、アジア、アフリカの芸能を全部訪ね歩いたそうですよ。アジア的な人形だとか仮面だとかをすごく使っていて、だからライオンも顔が出ていたりするし、半分人間として使いながらイノシシとかね、やっているんですよ。割と文楽の研究をしたらしい。それで、題材はライオンキングってさ、「ジャングル大帝レオ」じゃね?って。
姜 「ジャングル大帝レオ」ですよ。
横内 そうですよ。みんな思っていた。
姜 仮面劇とかアジアのいろんなものを採取して。
横内 それでいてジャングル大帝レオが我々にある。仮面劇もあれば、ジャングル大帝って原作まであったのに、なんであれ(ライオンキング)を僕たちが作れないんだっていうのが、もうこれも一つ課題だなって。
姜 だからさっき言った、高付加価値化っていうか。日本は本来クラフトマンシップも優れている、だったらGUCCIみたいなのが出てきてもいいはずなのに、なぜそれが出ないのかと。今の大学、高等教育制度に問題があって、結局製造業と官僚、こういう形で大学のヒエラルキーが出来上がっているから、付加価値を作り出す学部ってまずないですよね。日大なんかに芸術学科はあるけど、芸術学科なんて日本にほとんどないんです。
横内 僕ら演劇界にとっての大きな問題は、東京藝術大学に演劇科がない。
姜 韓国には演劇学科が多いんですよ。有名な俳優さんが大学の演劇学科を卒業している。日本人にはそれだけの力があるはずなのに、なぜかそういうところにエネルギーが注がれない。これは、新劇の影響なんでしょうかね。
横内 いろいろ聞くと、戦後か何なのかな、藝大みたいにやろうとした時に、新劇の人たちが国のやることは信用しないと。最初に何か決別をしてしまったらしい。
姜 今回、横内さんのような人が、歌舞伎から人形浄瑠璃に行ったということは非常に画期的なことです。僕は価値が生まれるのは異種混交でないとダメだと思う。同質性の中にね、まどろんでいる限りは新しい価値はできない。今、世界中があまりにもグローバル化で異種混交になりすぎて、同質、みんな同じだよねっていう世界にこもりたいよって。そうすればするほど、実は高付加価値は生まれない。だから今回、アーティストがいろんな異業種を、横内さんを通じて結集したんですね。
横内 最初の顔合わせ、制作発表の時に館長がおっしゃった「ローカルからグローバルへ」。今僕は受け売りでいろんなところで使わせていただいています。これだと思って。
姜 今回の清和文楽公演はこの劇場にとっても一つのレジェンドになって、ずっと語り継がれている。
横内 どこかであそこ(清和文楽館)に駐車場に入りきれないぐらい車を並べてみなきゃいけないですね。それがいつ起きるのか、今後それは起きずに終わってしまうのかってちょっと僕は心配ですね。話に聞くと欧米には何日もかけて行くようなレストランがあって、泊まりがけで行って食べる店があると言われていたりするわけで、日本でもちょっとずつそういうのが生まれているのかもしれないけどね。で、そういうことで言うと、あそこに行ってワンピースの人形浄瑠璃を見ようじゃないかと。そういう人たちをどれだけ引き付ける仕掛けができるのかね。で、十分に最初の立ち上げの花火は上がった気がしていて、どれぐらい盛り上がってくれるかなと思うと、そう簡単じゃないなっていうのを心配はしている。
姜 だからここ(県劇)での2日間を、自分の、自分たちの大きな原点みたいなものにして、絶えずそこにもう一回立ち返りながら自分たちの持続可能なものをやって欲しいとは思うんですけど…もう一回横内さんにやっていただくような機会があるかもしれないですね。
横内 ぜひ海外に、韓国などに持っていくとか。ちょっと今お祭りに使われちゃっているんで、呼ばれると嬉しいから行っちゃうけど。全体作品としてのクオリティを保ったまま、本気で見てもらえるように。そのために彼らも研鑽しなきゃダメだし、そういう機会を整えたいなと思います。
姜 あそこ(清和文楽館)にわざわざ足を運んでもらうために。もう一回、機会があれば、よろしくお願いいたします。