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2020.03.20

まなびの風景「熊本県立牛深高校郷土芸能部」

全国に伝わるハイヤ系民謡のルーツ、牛深ハイヤ節

「ハイヤ エー ハイヤ」の強烈な張りのある節からはじまる牛深ハイヤ節。牛深ハイヤ節が生まれたのは江戸時代の半ばと伝えられ、その頃鹿児島と大阪を結ぶ中継の港であった牛深港には、多くの船乗りが集まっていました。次の港に船を出すまで、風待ち、時化待ちで牛深に寄港した船乗りたちをもてなす宴席で唄われたのがそのはじまりで、その躍動感あふれる唄と踊りが船乗りたちの間で大流行し、地方に伝わり、たどり着いた先での民謡として広まっていったといわれています。「ハイヤ」は、南風(はえ)が変化したものと考えられ、船乗りたちによって広められた牛深ハイヤ節は、全国にあるハイヤ系の民謡のルーツであるといわれています。現在でも、毎年4月()に開催される「牛深ハイヤ祭り」での総踊りや、地元での祝いの宴で唄い踊る「元ハイヤ」と、牛深ハイヤ節は地域の伝統芸能として脈々と受け継がれています。

今回ご紹介する牛深高校の郷土芸能部も、牛深ハイヤ保存会から指導を受け、牛深ハイヤ節の伝承や技術向上のために日々練習に取り組んでいます。

郷土芸能部の練習風景はまるでアスリート!

牛深高校の郷土芸能部は、創部から30年以上。牛深ハイヤ節を現在の形に振り付けた舞踊家の浦田智美氏の舞台踊りを基本に練習しています。

地方(じかた)と呼ばれる唄、太鼓、三味線、お囃子と踊りで構成され、日々の部活動ではそれぞれ担当パートを練習。上級生が手先の動きや表情、足のさばき方など、細かなところまで指導している光景がとても印象的でした。隣町の河浦出身である太鼓担当の2年次生、田中愛さんは「体験入学の時に牛深ハイヤ節を観て、すぐに太鼓に興味を持った」と入部の理由を教えてくれました。また、同じく河浦出身の三味線担当1年次生の登青空さんは、「牛深ハイヤ祭りのパレードが楽しくて、小学生の頃から毎年祭りに通ってました」とのこと。

武道館に響き渡る節まわし、はち切れんばかりの笑顔、そして指先にまで神経を張り巡らせた踊り。牛深ハイヤ節の通し練習は、まるで本番さながら。一通り踊り終えた頃には、肩で息をするくらい、まるでアスリートのようでした。彼女たちには、伝統を受け継ぐという、覚悟のようなものさえも感じられました。


(「第43回全国高等学校総合文化祭2019さが総文」での舞台)


(地方(じかた)と呼ばれる太鼓の田中愛さん(2年次生・左)と、三味線の登青空さん(1年次生・右)。二人は中学の時の先輩後輩!)

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