NEW!
2025.12.20
【館長室から】No.2

旧暦の世界
まだ、母が健在の頃、我が家は新暦の正月ではなく、旧暦の正月(ソルラル)が盛大な祝日になっていた。月の満ち欠けを主軸に太陽の動きで調整する「太陰太陽暦」(旧暦)は、農耕や漁撈を生業とする人々には自然の律動を知るうえでとても便利だった。そのせいか、母はよくこの季節は貝の身が引き締まって美味しいとか、この時期のカニは身がスカスカでまずいとか。実に博物学者と思えるほど、詳しく、実際に母の「診断」は当たっていた。
旧暦は、ある意味で母を自然と繋げる「臍帯」のようなものだったと言える。生意気盛りの十代の頃の私は、旧暦の世界が因習に塗れた旧世界のように思え、母の季節感に強い反撥を感じたものだ。
あれから半世紀以上が経ち、自然との「臍帯」を断ち切られて、自然の律動と人事が益々、乖離していく世界の変化の中にいると、時おり、母の旧暦の世界が無性に懐かしく思われる時がある。西条八十の詩「ぼくの帽子」にあるように、「母さん、僕のあの帽子、どうしたでせうね?」と問いかけたい気持ちに駆られる。「あの帽子」―すべてが旧暦によって動いていた母との「記憶」のことである。私の齢も益々、母に近づきつつある。






