2025.06.20
【県劇職員が本音を綴るリレーコラム】No.25

それでも劇場が好き
1991年、妻の郷里である宮崎へ移住。心優しき変人と出会い、そのご縁でアングラ劇団の舞台監督へと…。そして、妹尾河童さんが公演で来県。建設中だった県の劇場にもふれられ、そこで仕事したいと願っていたら実現。これがぼくの劇場ことはじめです。
宮崎県立劇場は、1993年開館。その準備期間中、1982年開館の熊本県立劇場で2週間、研修をしました。当時、鈴木健二館長のもと劇場はとても輝いていました。ここで劇場人の基礎を学び、宮崎で8年間修業しました。
次の局面は、北九州市の劇場計画へ尊敬する先達がぼくを推薦。小倉に単身赴任しました。初めの2年間は開設準備で、市・設計・劇場コンサル・施工の担当者と喧々諤々のやり取り。何しろみなさん、よい劇場を建てるんだと熱い方々ばかり。2003年の北九州芸術劇場開館はいろいろな役割を与えられ、成果を出せたか心許ないです。12年後お役御免、新たな場探しです。
そして2015年、福岡市の計画する新文化拠点への参画が決まり、福岡市へ。待ち受けていたのは市の方針変更。劇場を持たない財団で事業を行う、残念な3年間でした。
でも、拾う神あり。2016年開館、久留米シティプラザです。オペラ形式のコンサートホール、伝統芸能に調和する中劇場、ブラックボックス式小劇場など、機能を分けた魅力的な演出空間。彼のまちへ転居したら、劇場運営が問題化。コロナ禍も含め7年間苦悶、そして定年。
劇場ジプシーの幕引きかな、24年間の単身赴任生活もおしまい…。すると懇意の劇場コンサルから紹介され、この度熊本へ。各地の城下町での単身赴任生活も26年目。1980年代~2010年代、九州の県・政令市・中核市に出来た劇場での仕事に恵まれ”それでも劇場が好き”なぼくがいます。

舞台技術グループ
垂水 健治[たるみず けんじ]